納豆の歴史

納豆の起源について考えてみた ~京都から東北へ、そして再び京都へ~

◆納豆っていつどこで始まったの?
納豆という食べ物はどこで誰が初めて作り、また誰が初めて口にしたのでしょうか?(どこの誰であったにせよ、なかなかのチャレンジャーだということは言えそうですね・・・)
納豆といえばやっぱり水戸が有名ですが、東北が発祥という説もありますし、一気に離れて、九州熊本でも納豆文化が根付いていると聞いたことがあります。そして京都で納豆を作る私たちとしては京都発祥説も捨てがたいということもあります。結局のところ納豆の起源や歴史については様々な説があり、いつどこで始まったのかは定かではありませんが、私たち高橋食品工業株式会社のある「京都」という地と「納豆」を結びつけるひとつのエピソードが残っています。

◆八幡太郎義家の納豆伝説
八幡太郎義家とは通称で、平安時代後期に活躍した武将「源義家」のことを指します。義家は後の源氏勢力を形成するべく、京都から奥州平定を進めていきました。その戦でたどった道筋には、なぜか現在にも続く納豆の産地が多く含まれているそうです。なぜなのでしょうか・・・
戦に兵糧は欠かせませんが、その一つに煮豆がありました。その煮豆をワラで編んだ俵に詰め込み、馬の背に載せて携行していたそうです。でも、そのままではいくら進軍しようとも「ワラに入った煮豆」でしかありません。それがある偶然を経て、糸を引く納豆へと変化したようです。その条件とは・・・
それは「馬の体温」だといわれています。馬の体温はわれわれ人間より高い38度前後だそうですが、その38度というのが、ワラに付着した納豆菌が活発に繁殖する温度になります。(現在の納豆づくりでも納豆菌を加えた煮豆を発酵させる部屋の温度は38度ぐらいを目安に管理されています。)その条件によって元気になった納豆菌が煮豆に作用したことで、糸を引く納豆の原型のようなものができたようです。
(ちなみにその戦では京都丹波山国地方よりの出兵が多く、現在もその名残で京都京北の山里では自家製納豆が作られ、「京都京北が納豆発祥の地」と村おこしをされておられます。)
現代の私たちは納豆という食べ物を認識していますから、もしその場にいたとしても「これ、腐ってるように見えるけど、食べてみたら結構いけるんやで~」などと言えるかもしれませんが、実際その場にいた兵士達は最初どんな気持ちで食したのでしょう・・・戦の中の食事ではそんな悠長なことは言ってられなかったのかもしれませんね。
そんなこんなで兵糧として納豆が偶然としてうまれ、義家が進軍した地域と帰ってきた京都にその製法が残り、その地ではいまでも納豆文化が続いているということのようですね。

◆鶴の子納豆の発祥は仙台?
弊社、高橋食品工業株式会社の前身となる高橋商店は、奥州仙台の名門政岡納豆に生まれた高橋慶三が昭和29年に京都の地において創業をいたしました。政岡納豆というのは仙台で納豆の製造販売を生業としていた一族で、そこで慶三は伝統の技術と近代的な納豆製法の多くを学びました。その後、慶三は人が多く集まる京都の地で商売を始めました。(当初は、思っていた以上に、京都の食生活に納豆が根付いていなことに苦労したそうです。)奇しくも京都から奥州へと向かった八幡太郎義家とは逆のルートで京都へと向かうこととなりました。

京都伏見 鶴の子納豆本舗

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高橋食品工業株式会社

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